若い日

日田の田舎もんが憧れた東京に出てきたとき、未知の大都会は若者に成功を約束してくれる夢舞台に見えました。

後に幻影に過ぎなかったと気付きますが。

大した学歴も資格も無い若者が最後まで握りしめていたものそれは「夢」でした。

田舎を出るときひそかに渡された大学進学の月謝は、渋谷駅の井の頭線のガード下の居酒屋で一年がかりで消えていました。

しかし収穫がありました。親しい飲み仲間が出来ました。水道屋の倅、風呂桶の職人。

詩人を目指している

若い女性など、様々な若者達です。

ある日彼らに誘われて今まで知らなかった人々を紹介されました。

それは詩人の西條八十先生の門下生でした。

凝り性のわたしは、

渋谷通いを止めて、

詩集を手当たり次第に買い求め、世田谷上馬にあった母方の大伯父の 屋敷に居候していました。

いろいろ読みながら、合間に西條八十先生の門下生の末席に座っていました。

ある日彼ら門下生には詩才があり、わたしには無理だと考え、抜けました。

しかし詩に憑かれて

、毎日二階の自室で明けても暮れても紙くずになる原稿用紙に向かっていました。

久しぶりに飲み仲間に誘われて渋谷駅のガード下の居酒屋に行き仲間の顔を見てほっとしました。

「どうだい又、詩人の仲間に入らないかい?」

わたしは丁重に断りました。

「詩人ってなんだい?」

わたしの質問に答えてくれる仲間はいませんでした。自棄気味のわたしに呆れて仲間は去りました。

夜遅くタクシー(当時は小さなルノー) の

ドライバーに都電のレールからタイヤを外さないで世田谷上馬まで行けたら運賃を倍にすると話し掛けると、

本当にに片方のタイヤを都電のレールにぴったりくっけて家に着きました。

あの頃は全てがおおらかで、タクシーを玄関脇に止めて、ドライバーを部屋に招き入れました。

大伯父は呆れ顔でしたが、「済まんね!この馬鹿たれのために!」と言うと、ドライバーに茶菓子をすすめてくれました。無論わたしは約束した運賃を倍にしてドライバーに渡しました。

別れ際、お兄ちゃんあんたは、なんだか知らんが変り者だね?

見込みがあるね!と投げ言葉を残して走り去りました。

後で待ち構えていたのはおばちゃんの嫌みでした。

自室に戻ると変なようすです。部屋が綺麗に片付いていました。

嫌な予感が的中しました。長い間かかって書き溜めた詩の原稿用紙が見当たらないのです。

おばちゃんに尋ねました。僕の書いた原稿用紙は何処にあるの?

「なんだか知らないが汚いから庭で燃やしたよ!」

急いで庭のドラム缶を見ると灰だけが残っていました。

ガックリしているところに大伯父がきて

「下らん物を書くお前が悪か!」

と怒鳴られ家出を決めました。

後で家出先が見つかりますが。

「詩人ってなんだ?」

いろいろ読みましたが、心に響いたのは

あまりありませんでした。

日本人のわたしの感性に、身近に感じた詩人は、お馴染みの、北原白秋、島崎藤村、石川啄木、北村透谷、フランスの詩人、ジャン・コクトウ、シヤルル・ボウドレーヌ、アルベール・サマン。(記憶違いがあるかも?)

でした。

|詩は言葉の切れ端|ではない!人生経験から迸る叫びだと後で気付きますが。

わたしの心を強く捉え魂を握り締めた♪シャンソンがあります。

有名なな枯れ葉です♪詩:ジヤック・プレウ゛ェール 曲:ジヨセフ・コズマ

歌:イブ・モンターン

(エデイット・ピアフも?)

辛い時には自然に

♪メロディーと詩人の心を身近に感じます。皆さんお休みなさい〓

愛の樹オショチ†

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