−秩父別のルデアさんと奴隷船の船長−

旭川から国道12号線を、神居古潭(カムイコタン)に向かって走ると石狩川にぶつかる。前日の豪雨で、石狩川は赤く濁って増水していた。更に下ると、川の流れに添って深川市から国道が右にそれて、233号線の深川国道に出る。

どこまで行っても信号機はないし、道の両側に広がっているのは豊かな牧草地であったり、ビート畠、小豆、それに白い花をつけたジャガイモ畠である。ゆったりと時間が流れている。定速で走っていると、オバアサンの運転する軽自動車が百キロ近いスピードで追い越していった。

時折、放牧された乳牛の群れを見た。アイに刺激を与えようとけしかけてみたが、初めて近くでみる牛に驚いてシッポを巻いて身をすくめている。

アイン号をパーキングエリアに止めて近くの牧草地に寝ころんで空を眺めた。夏草のむせかえるような懐かしい大地のにおいだ。久しぶりの母のにおいだった。幼い日、大分県の日田市の田舎の、あの土手の草ムラに寝ころんではクンクンかいだ懐かしいにおいがした。

故郷の母は、今は天国の住人になっている。草ムラで「ジーッ、ジーッ」と何か鳴いている。この道を行けば留萌に出る。私は地図を頭に描いていた。

私たちは、毎晩、パーキング・エリアのそれも森や林のありそうな国道から、少し奥まったところで仮眠をとった。爆走する大型トラックの風圧でアイン号が横揺れして、とても仮眠してはいられないからだった。気がゆるんでほっとしたのか、ウトウトしかけたその時、どこかこの先の村で、私たちを待っている一人の婦人がいると感じた。夢を見たらしい。

しばらく走ると、黄色い建物が見えてきた。「秩父別2−8 秩父別西農協」と書いてある。アイン号を横に止めて、飲み物を買った。アイの食料はないかと思い、尋ねてみると、年の頃、50歳前後の優しい顔つきの店の女主人が、アイを見て「人間の食べ物はこの子にはよくありませんよ」と親切にアドバイスしてくれた。「脂肪や塩分が強いし、それに体が小さいから、肝臓をやられますよ」とも言ってくれた。

私は嬉しくなった。よほど、心にゆとりのある心優しいお方に違いない。旭川スバルの赤川さんといい、この女主人といい、何か共通点がある。

いったん店を出て、アイン号に乗ったが、なぜか気が引かれる。彼女も同じ思いらしい。はっとして、持参した「地の塩の箱誌」とトラクト、キリスト新聞のコピー、それにグラスカードを持って店に戻った。彼女は待っていた。

「これ読んでいただけますか?」と言って、「箱誌」を差し出すと、彼女の方がビックリした。「あれ! まあー。秩父別広しと言えども、この村で江口先生のご本を読んでいるのは、私一人ですよ」と、言う。

「木綿子さんは」と、聞かれた。

「彼女はたしか、外国の方とご結婚なさったんでしょう?」

「ええ、その通りです。デイヴィッドさんですよ」

「木綿子さんのご本、読みました。朝日新聞の書評を見て心が動いたんです。私に信仰心はありませんが、何も、江口先生、あそこまでご家族を犠牲にし、ご自分を苦しめなくも。他人様のことで、あんなに辛い思いをなさって、とてもとても凡人には、まねの出来ないことですよネー」

と、ため息をついた。

それから話がはずんだ。北海道のどまん中の広大な草原のその中の、ポツンと建っている一軒家の店の女あるじが、私たちと目に見えない糸で結ばれていたとは。

「箱誌」にしろ、私たちのこの種のものは読者層も限られていて、むしろ読んで下さる方が例外者である。この出会いは偶然ではない。神の摂理が、み手が働いているとしか言いようがない。

聞くと、走ってくる私達をみとめて、何か店から出そびれていたという。事実、私が店に入ろうとした時、彼女はでかけるつもりで店に鍵をかけているところであった。真実を求めている魂の持ち主がいた。

「ああ、主よ、感謝いたします」

このひとときの出会いが、今までの長旅の疲れをいっぺんに吹きとばしてくれた。ささいな事でも、力になるものがあった。私たちは温かい見送りを受けて、お店をあとにした。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

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