使徒・パウロ
パウロの出自、人物像に少し触れて見ます。
彼はユダヤ教徒で小アジア・キリキヤ州の
首都タルソの家庭で生まれ8日目に割礼を受けています。
成長した後、ユダヤ律法を守らない、キリスト教徒に憤り、残酷なクリスチャン狩りを始めます。キリスト教徒迫害に狂奔し、ダマスコ途上、突然天からの光りが彼の周りを照らします。
彼は地に倒れ「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞きます。
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしはあなたが迫害しているイエスである………彼は目を開けたが何も見えなかった。……三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」。使徒行伝・9:1〜19
回心したサウロはアナニヤと言う人に洗礼を受けます。食事をして元気を取り戻したのです。名前はサウロからパウロに変えられました。
イエスの直弟子と違った体験がイエスの教えを全世界に広めるきっかけになりました。。
人の力で出来るものではありません。
風貌はみすぼらしく、健康に恵まれず、生涯天幕造りの職人として働き、30余年の生涯は波乱に満ちたものとなりました。
驚くべき伝道活動のエネルギー源は、
「聖霊の愛」にありました。
彼はわたしの身体の刺を抜いてくださいと三度も祈りましたが、
神からの答えは?
「わが恵み汝に足れり」でした。
三度も地中海沿岸から内陸部に伝道しています。
彼の晩年は明らかではありませんが(西暦、61年から2年ごろローマ?)で殉教したと言われています。謎に満ちた人物です。
彼は弟子たち、信者に膨大な、書簡集を書き残しています。新約聖書に多く記述されています。
ロマ書、使徒行伝、コリント人えの手紙。ガラテヤ、ピリピ、コロサイ等々。
最古のものは第一テサロニケ書でだと言われています。………。
地中海沿岸から内陸部までの足跡地図と、書簡を執筆中の聖画、アナニヤの洗礼を受けるパウロの聖画を添付します。
愛の樹オショチ†