−助け車、現わる−
坂道をのぼってくるエンジンの音で目が覚めた。日曜日の朝、5時45分であった。一人で日曜礼拝を守って外に出た。雨は依然強い。乗用車は皆、素通りしてしまう。なかなか止まってくれない。この雨の中、誰もトラブルに巻き込まれたくはない。私も少々心細くなってきた。
しばらく祈って、又外に出た。今度こそ、「止めて下さい!」と心に念じて手をふった。函館ナンバーの2トン車が止まってくれた。年の頃、30歳前後のがっしりした青年である。「どうしたんかい?」と聞く。 「夜中に故障して一晩ここで過ごしました。助けて下さい」と言うと、「……うん。よし、わかった。長万部までしっかり引っぱって行くべー。ウインカーあげてね。ロープあるかい?」と聞く。
「はい、けん引ロープがあります」
まさか役立つとは思わず、出発の時、何気なしに持って来た黄色いロープが、アイン号と私たちの命綱になった。
「ああ、これで助かった!」 窮地から脱出できた喜びで胸が熱くなった。
けん引されながら、昨夜の生々しい体験が不思議な感動となって、込み上げてきた。
「美利河峠よ! 北キツネの子ギツネ君よ。さようなら! 大変お世話になりました。ここの事は決してわすれませんよ!」
美利河峠が遠ざかって行く。バックミラーを見ると、雨と霧の中に消えていた。
20km近く走って、長万部のガソリンスタンドに着いた。ロープを離すと、かの青年はすぐ走り去ろうとした。私はあわてて後を追いかけた。
「少しばかり、ほんの少しばかりですが、助けられた私のこころざしです。受け取って下さい」
と言って、5千円差し出した。
「困ったときはお互い様だがネー」
と言って、どうしても受け取ろうとしない。頼むようにしてワイシャツの胸のポケットに入れると、彼はそれじゃ、と言っておさめてくれた。
「8時にスタンドはあくよ。その先にドライブインがあるから。メシ食って待ったらいいよ」
どこまで親切な青年なんだろうかと思っている間に、手を振って青年は走り去った。私は2トン車に向かって深々と最敬礼をして見送った。
−途中で考えたこと−
倶知安(クッチャン)、小樽、札幌、岩見沢を通り抜けながら街や村の入口に立っては祈った。「この街に神の祝福と平安を、この村の人々に幸せをお与え下さい。主よ、それから足長オジサンとオバサンをお与え下さい」
今までの経験から、この程度の祈りでも数年経たずして不思議にも必ず祈りが聴かれ、心の優しい人が与えられた。その事が昨日の事のように、ありありと鮮やかに思い返されてくる。
都市よりもむしろ田舎がよい。どうしたわけか、人口の少ない田舎の方が、祈りがよく届くような気がする。祈りが天に吸い込まれてゆく。実感があるのだ。
特定の人物にお逢いするのが、今回の伝道旅行の目的ではない。主イエスは「ああ、コラジンよ、ベツサイダよ」と言って、不信の都市や村の不幸を嘆かれた。街ぐるみ、村ぐるみのために祈り、そのため、愛の痛みは主イエスの心を激しく痛めた。
私も主のみ心に倣おうとした。魂にこの事が強く響き、その響きは、この証誌を書き続けている今も、響き続けている。このあと「四国、九州、山陰地方を同じやり方で"巡礼"するつもりでいる。街や村々で一人秘かに祝福と平安を祈りたい。人々の救霊のためにも」
つづく
「心の旅路」より抜粋
添付写真は美利河峠→ピリカ峠です。