少し早めですが、ヨブ記と待降節・に寄せて†

夭折した天才詩人・石川啄木の生きざまと彼の言葉が思いだされます。

啄木は、山形の田舎の貧しい寺の住職だった父に向かって『他人の借り物の言葉でなく自分の言葉で語れ!』と、厳しく言い放ち家を出ました。

天才啄木ならではの深く心を抉る言葉です。

 
石川啄木(wikipediaより)

最近、年を重ね、人生を振り返る機会が増えました。
あれこれ思うのですが、平凡な生き方でも、誰かのためになる。

人間は人との関わり合い無しに生きては行けない生き物です。

誰かが居なければ、心に穴が空いてしまう。それが人間の姿でしょう。

身近な人を失った友人がいます。哀しみの解消には長い年月が必要です。

神に出会うまで何故こんな目に遭うつたのか?神の真意は不明。何故…?
哀しみと疑問に付き纏われます。

ヨブ記を通していろいろ考えさせられる毎日です。

【ヨブ記13】

そんなことはみな、わたしもこの目で見
この耳で聞いて、よく分かっている。

あなたたちの知っていることぐらいは
わたしも知っている。
あなたたちに劣ってはいない。

わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。
わたしは神に向かって申し立てたい。

あなたたちは皆、偽りの薬を塗る
 役に立たない医者だ。

どうか黙ってくれ
黙ることがあなたたちの知恵を示す。

わたしの議論を聞き
この唇の訴えに耳を傾けてくれ。

神に代わったつもりで、あなたたちは不正を語り
欺いて語るのか。

神に代わったつもりで論争するのか。
そんなことで神にへつらおうというのか。

人を侮るように神を侮っているが
神に追及されてもよいのか。

たとえひそかにでも、へつらうなら
神は告発されるであろう。

その威厳は、あなたたちを脅かし
恐れがふりかかるであろう。

あなたたちの主張は灰の格言
弁護は土くれの盾にすぎない。

黙ってくれ、わたしに話させてくれ。
どんなことがふりかかって来てもよい。

たとえこの身を自分の歯にかけ
魂を自分の手に置くことになってもよい。

そうだ、神はわたしを殺されるかもしれない。
だが、ただ待ってはいられない。
わたしの道を神の前に申し立てよう。

このわたしをこそ
 神は救ってくださるべきではないか。
神を無視する者なら
 御前に出るはずはないではないか。

よく聞いてくれ、わたしの言葉を。
わたしの言い分に耳を傾けてくれ。

見よ、わたしは訴えを述べる。
わたしは知っている、わたしが正しいのだ。

わたしのために争ってくれる者があれば
もはや、わたしは黙って死んでもよい。

ただ、やめていただきたいことが二つあります
 御前から逃げ隠れはいたしませんから。

わたしの上から御手を遠ざけてください。
御腕をもって脅かすのをやめてください。

そして、呼んでください、お答えします。
わたしに語らせてください、返事をしてください。

罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。
わたしの罪咎を示してください。

なぜ、あなたは御顔を隠し
わたしを敵と見なされるのですか。

風に舞う木の葉のようなわたしをなお震えさせ
乾いたもみ殻のようなわたしを追いまわされる。

わたしに対して苦い定めを書き記し
若い日の罪をも今なお負わせられる。

わたしに足枷をはめ、行く道を見張り続け
一歩一歩の跡を刻みつけておかれる。

このようにされれば
 だれでもしみに食われた衣のようになり
朽ち果てるほかはありません。

(ヨブ記第13章)

続きます。

愛の樹オショチ†

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