心配がなく楽しく過ごせる神様のおいでになる、光りに満ちた美しい世界。
この世の生活とは別次元の世界。
再び死をみることのない世界。
中世ヨーロッパの各地の教会に掛かれた荘厳な聖画の世界。
死後の霊魂の生活環境は天使に支えられて楽しい。
世俗的に記述すればこんなイメージが湧くかと思います?
ちなみに、新約聖書には、天国は神の国。
すなわち神の統治として記述されていますがこの世の終末的な意味を持つ言葉でもあります。
ある高齢のご夫人が長年連れ添った夫を突然亡くされ、深い悲しみにうちひしがれていました。
見るに見兼ねて声をかけしました。
ご夫人の話では、
夕方が近づくと自宅に帰るのがとても辛い、友達の家を訪ね歩きます。悲しみを紛らわせたいから。
自分ひとりの夕食の支度は淋しさや悲しみがこみあげてきて!とても作る気になれないのです。これから先どうしましょう?
…。
この世の命はやがいつか終わりますね!
分かってはいますが、だけど独りぼっちは息が詰まるほど苦しく辛いです。
主人が昨日まで使っていた品々の一つ一つが恋しさと悲しみを誘うのです。
ご夫人の悲痛な思いが深く胸の奥底に突き刺さってきました。
悲しみに通用する言葉が見つかりません。
このような時に使用言語の貧しさをつくづく実感します。
安易な慰めの言葉は却って悲しみを深めるのでは?と、感じ、言葉を飲み込んでしまいました。
ご夫人から切り出されました。
牧師さんですね!
もし、そうなら是非教えて下さい。天国は在るのでしょうか?
私は教会にも行きました。キリスト教も学びました。どうぞ私のこれからの身の振り方をアドバイスお願いできないでしょうか!
キリスト教を知っているけど、天国で主人に会えるでしょうか?
と、尋ねられました。
いつか自分にも訪れる死をどう受けとめたらよいのでしょうか?
とも!
イエスは言われた。わたしは復活であり命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。
マルタは言った。
はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。
ご夫人に、今必要なのはこの聖句だと思われました。
キリスト教に触れたお方ですから何か伝わるのでは?と私自身が切ない気持ちに襲われていました。
話し終わると、ご夫人は静かにうなずきました。
やっと決心がつきました。
ここを出て行きます。気持ちの整理がつきました。
新しい場所で新しい生活を始めて見ます!
主人に会えたらもう二度と別れません!
ありがとうございました!
あれから数年経ちました。きっとお元気に過ごされていることと、思います。
神の慰めをいただいて†
続く。
愛の樹オショチ†
生きてそして必ず死があります。今は、苦しくても、悲しくても、つらくても、生きて生きて生かされている間、精一杯生き抜いていくだけです。すべてに感謝です。