人の過ちを咎めず、自らを誇らない、謙虚なお方に昔、出会いました。
その生活は質素そのものでした。
粗末な小屋住まい。
師の愛読書は読み込んだ、古い聖書1冊。
これは生きた知識の宝庫です。
これを熟読して身につけたら(受肉したら)、
神の御心すべてがわかります。
(宇宙の)神秘に触れます。
師の単純明快な言葉です。
神を信じて疑いません。
師は言葉を続けました。
ある先生の集会に、誘われて行きました。
立派ななりをした先生が、高い壇上から信者を見下ろして、おもむろに話し始めました。
わたしは皆さんに教えてあげるんです。
わたしの説く教えは皆さんの役に立つ。
長い聖書講義がはじまりました。
師は黙って聞いていましたが、ついにその場にいたたまれず、途中で抜け出しました。
鼻持ちならぬ彼の態度に憤りを感じたのです。
教えてやる!
師はわたしの目をじっと見つめて言いました。
神の身ならぬ人間に、「神の御言葉を教えてやる!」は、似付かわしくない。神の御言葉に人を見下す思いは、含まれてはいない。
何故なら、神は人間の犯した罪をお許しになられた。
ご自身の分身の御子を、人間の罪の 生け贄として捧げられた。
神が願われたのは、ご自身の手で創造された生命の幸せ。
それこそ神の御本心です。人が人を裁 き、教え導く力は人間の所有でも権力でもない。
ただ神の御心に真摯に従う者にのみ許されるのです。
神託された者の使命。
真か否か 見分ける力は神が付与されます!
孤高を貫き世間に媚びず、貧しさを恵みと受けとめて、秘かに天に帰られた師を懐かしく思い出します。
最後に聞いた言葉は、
わたしは何も知らないことを知りました。
神に遣わされた真の伝道者でした。
義人は神の他一人もいない。
少しばかり知識があるからと言って自分を誇ってはならないのです。
他者に劣等感を与えない、優しい心の持ち主でした。
ある日伝道の旅に同行しました。
師は祈りの人でした。
山道の途中で腰をおろして一休みしていたときのことでした。
師の唇がかすかに動いています。
辺りは新緑にむせ返るほどでした。
小さな低い声でしたが、
嗚呼!神よこの美しさはあなたの贈り物、この時を感謝いたします†
アーメン・ハレルヤ†
短い祈りでしたが、深く心に響きました。
師の遺された言葉を噛み締めています。
長い歳月を神の御言葉に生涯を賭けた御方でした。
無私無欲、あっけらかんとした生きざまは人々の魂を魅了しました。
私も、つい、道理に合わないことを言う人を、批判したりしてしまいます。そのときは、自分も同じように、批判していることに、気がつき、すべてを受け入れ、愛しるひとと、思うことで、自分自身も、穏やかになれる。難しいが、最近思うことです。謙虚が、大事と思いました。ありがとうございますヾ(^▽^)ノ
「神の人」ありがとうございます。今日、このお話が私を対人関係で助けてくださいました。高尚な魂のお話は未熟な人間に正しい方向を指さしてくださいます。