シラ書11:22~34
主の祝福こそ、信仰深い人の受ける報いなのだ。
主は、幸せの花を、速やかに咲かせてくださる。
お前はこう言ってはならない。
「今の自分は何の役に立つのだろう。
今後役に立つとしたら、それは何だろう」と。
また、次のように言ってもならない。
「今の自分は満ち足りている。
今後どんな災害がふりかかるというのか」と。
人は、幸福なときには不幸を忘れ、
不幸なときには、幸福を思い出さない。
死に際して、生前の行状に応じて報いることは、
主にとって、いともたやすいことなのだ。
不幸に遭うと、すべての楽しみを忘れるが、
人の行いの評価は、その最期に明らかになる。
どんな人に対しても死を迎えるまでは、
その人のことを幸せだと言うな。
人間は、その子供たちによって、
本当の姿が知られるのだ。
他人を家に入れるな
だれかれかまわず家に招き入れるな。
悪賢い人間が、多くのたくらみをもって
うかがっているのだから。
高慢な人間の心は、
籠の中にいるおとりのうずらのようだ。
密偵のように、お前を陥れようと
すきをうかがっている。
彼は、善を曲げて悪に変えようとねらっており、
申し分のない行いにさえ、非難を浴びせる。
わずかな火種で、炭は燃え盛る。
罪人は、血を流そうとして、
はかりごとをめぐらしているのだ。
悪者に気をつけよ。
悪事をたくらんでいるのだから。
お前が傷つき、いつまでも苦しまないように。
他人を自分の家に同居させてみよ。
もめごとでお前は頭を悩まし、
身内の者からも疎まれる。