夢を見させる神

戸村裕司

 

 

ふ るさとの家で外仕事をしていたときである。手がすべって、持っていたはさみで反対の手を切ってしまった。傷はかなり深く、肉まで見えたが、仕事は途中だっ たので、ティッシュで血を止め軍手をつけながら続けていた。ところが、なかなか出血が止まらず、軍手からも血が落ち始めた。

 

仕事をあきらめ、改めて止血しながら、しゃがんで片づけをしていた、そのときである。上から深い声が響いてきた。

 

「夢を持ち続けよ。どんなときも夢を持ち続けなさい」

 

私は思った。今日みたいに何かすれば何か失敗する。その繰り返しです、その連続ですと。するとまた、

 

「それでも夢を見なさい。どんな夢でもいい。夢はあなたに力を与える。私はあなたに夢を見させる神である」。

 

時間をかけて対話するようにゆっくり、しかし確かな声はそう言っていた。次第に私は本当にありがたく思った。私のすべてをご存知の神がこのように言ってくださる。失敗も、ひどさも悪も… 血と一緒に涙も出ていた。

          *

最近ふと気づくと、そこにいる人がひとり多い気がする。人が集まっているとき、心の中で静かにそこにいる人数を数える。すると、もう一人いるはずなのに数は合わない。私はそのようにして主のご臨在を感じることがある。

 

数えられない、見えないもう一人。そこにイエス様がおられる。確かにおられる。それは心強く、自分にも何かができそうな気がする。日曜日の礼拝に限らない。家族との食卓、そして一人のときにも…

 

この二年強、さまざまな緊張が続いてきた。苦しいとき、「あなたはおられないのですか?」と問うことがあるだろう。

 

しかし、何が解決したというわけではないが、少しずついろいろなことがよいほうに向かってきた今、恥ずかしさと共に分かったのは、イエスはいつもおられたということである。

 

私が苦しいとき、私が感情にとらわれ主を忘れたときでも、主はおられた。今もおられる。その真実が分かった。もう一人おられる、その主を感じないとき、それは私の赤信号である。それは夢を失うよりもいけないことだ。そう戒める。



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