クリオン島から

島田和子

 

 

 2006年12月、フィリピン各地を 襲っていた台風が、10日の朝からクリオン島を直撃しました。これまで数多くの台風を経験し被害に泣いてきた島民達が、初めての経験だという程の酷さで、被 害は島中全ての人々に及びました。基幹産業であるカシュウの樹も果樹も、生活の糧の田畑も、全滅、漁もできず、学校の校舎も滅茶苦茶に破壊、何もかもが完 全にやられてしまいました。

 

「この状況で犠牲者が一人も出ていない!感謝! 人々は野生の草の根や葉を食べ、助け合いながら生きている。全てが根こそぎだから、戻るのに何年もかかるが、ここはイエスさまがいてくださり、愛の樹が一緒にいる島だから大丈夫!」

 

米、コーヒー、麺類、砂糖、鰯の缶詰など、当座の物資の手配を妻のインダイに委ね、まずは、もろに影響を受ける一番貧しい少数部族の人々の下にかけつけたエスピナさんの言葉です。(自分達の家も全壊ではないもののかなりの被害を受けていましたが) 

 

彼は10日後には600世帯に、そのまた10日後には991世帯に、というように身を粉にして救援物資を届けていきました。

 

途中からは仲間の市議達も共に行動するようになり、私達がすぐに送金した200万円にクリオン市からの援助金も加えられ、ついに1月半ばには3400世帯全員に、食料の他に穀物の種や樹々の苗を配りきりました。

 

「とても大変だったが、人々が励まされ元気になり、今年になってからは祭りをするまでになった! イカ漁に向けて、漁師達は網やボートの修理もできた。今年は豊漁になりそうだ!」

 

 そして、この最中に嬉しいニュースがもたらされました。少数部族の人々の権利の回復です。

 

エスピナさんは、全ての権利を剥奪され虐げられてきた少数部族の権利回復を求めて、長年に渡って政府と闘ってきた人です。その結果、ついに2005年3月、国会で彼等の自治権を認める法律が通りましたが、まだ実際には動き出していませんでした。

 

それがいよいよ今年(2007年)の10月、島の14のバランガイ(各部族のコミュニティー)全てで選挙が行われ、彼等による地方自治が始まることに決定されたのです!

 

これによって島全体の土地の3分の1の権利が彼等のものと確定します。

これは全フィリピンで始めてのことです!

 


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