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はじめに


「寛解を
目指して
今日も
希望の日」

「くすし(医師)
の深き
思いぞ
吾が胸に」


この句は、2008年10月15日(平成20年)、がん告知を受けた時に覚悟を決めて書いた遺書のようなものでした。
まだ油断は出来ませんが、 長い闘病生活に一区切りつきました。
その間、身に余る数々のご厚意、励ましを賜りました。厚くお礼申し上げます。

ここに至るまでの経過を簡単にご報告して、オショチ闘病記の第3幕を終わらせていただきます。


PET検査とは去る3月26日に総合相模更生病院で受けたPET検査結果は、お陰様で問題なしでした。

愛するオショチへ

本日3月30日、総合相模更生病院よりPET-CTの結果が届きました。
PET上のアイソトープの取り込みは なく、今回の検査上は寛解です。
よかったです。
主に感謝です。

在主  島田 貴

さて、PET-CT検査とは、陽電子断層撮影法という放射線を用いた検査です
PETはPositron Emission Tomography(ポジトロン・エミッション・トモグラフィー)の略。
ブドウ糖に似た薬18F-FDGという薬を静脈から注射します。
ガン細胞の診断に使われます。

ある友人にPET→ペットの話をしましたら、「猫ですか?ワンちゃんですか?」と聞かれました。
「いいえ!人間の身体のがん検査です」
「はぁー?」
普段、あまり聞きなれない検査ですからこの際、書くことにしました。参考になればと思います。

がんの宣告を受けて


見つかりやすいがん
肺がん・食道がん・大腸がん・膵がん・甲状腺がん・乳がん・子宮がん・卵巣がん・骨髄腫など。
見つかりにくいがん
早期胃がん・肝臓がん・腎臓がん・膀胱がん・前立腺がんなど。

私の場合は幸い、多摩南部地域病院泌尿器科の北原聡史先生から2007年12月、左尿管狭窄症のオペを受け、術後のチェックを2008年の6月はじめに受けました。
そのCT検査で、多発性リンパ腫と腎盂(う)がんが発見されました。

それから、肝臓内科の主治医松浦知和先生の学友で親友の血液・腫瘍内科の島田貴先生の診察を受けるようになりました。
また背中をぽん!と、押してくださったお方は、わたしたち、愛の樹教会の嘱託医、田舎暮らしのシオン診療所の町田隆弘先生でした。

ちなみに!初めてのPET検査は岡伸夫先生(おか脳神経外科院長)の紹介の総合相模更生病院。
今回は島田貴先生からの紹介で再び総合相模更生病院でした。

腎臓の悪化〜悪性リンパ腫の恐ろしさ


振り返って見ますと、昨年の今頃は、悪性リンパ腫が右腎臓に悪影響を及ぼし、腫大し、その痛みに七転八倒の最中でした。

当時、島田貴先生が勤務されていた、東京慈恵医大附属第三病院(東京・狛江市)に2009年4月10日頃入院しました。

私の無知、わがままもあり、島田貴先生から再三、骨髄液の採取検査、右腎臓の早めのオペなどを薦められましたが、怖くて、あれこれ、屁理屈を並べ立てました。
今考えるとまことに恥ずかしい限りで冷や汗が出ます。しかし“綺麗な身体で献体”したいと言う気持ちは本音でしたが…なかなかオペに踏み切れません。

ですが、もはや呑気なことは言えない状態にまで腎臓が悪化していました。
様々な検査を経て、悪性リンパ腫・非ホジキン系の低悪性リンパ腫であることも突き止められました。

その間、耳鼻咽喉科の宇井直也先生の検体摘出など、いろいろな検査結果、島田貴先生の血液・腫瘍内科に入院し、4月13日に泌尿器科の池本庸先生の執刀でオペを受けました。

長い時間が経過し、右腹を30㌢切り開き、摘出した右腎臓は玉子10個分位の大きな物でした。
カチカチに固まり悪性リンパ腫の恐ろしさを改めて思い知らされました。
ついでに大きな胆石がある胆嚢も摘出しました。
しかし、これらはすべて悪性リンパ腫の治療にたどり着く大事な処置でした。
右腎臓摘出後、島田貴先生が慈恵医大の本院、神谷町に移動されたので、昨年夏、悪性リンパ腫の本格的な治療に取り組むことになりました。

麻酔なしのカテーテル挿管


入院予定は多分8月半ば頃たったと思いますが?
ある日残った左腎臓に激痛が走りました。
松浦知和先生の診断で、水腎症の疑いがあり、7月31日にすぐさま、松浦知和先生の肝臓内科に緊急入院しました。

翌朝、泌尿器科の木村高弘先生の診断で、このままでは命が危ない!
“命を救います!”の、一言で、すぐにオペ・ルームに入りました。

左腎臓の危険な状態を切り抜けるために、尿管にカテーテルを挿入します。但し、腎臓と肝臓への負担を避けるため、麻酔無しの条件がつきました。

カテーテルが挿入不可能の場合は「腎臓に外部から穴を開けて、カテーテルを挿入し体外に尿を排出します」とも、言われました。
「何が何でもカテーテルを通してください!」と、心の中で、必死に!神に祈りました。不思議に激痛に耐える力はその場で与えられました。

モニター画面と木村高弘先生の顔を食い入るように、じっと見つめていました。
無事にカテーテルが挿入された時の感動は生涯忘れません。

それから10日ぐらい経ち、やっと念願の悪性リンパ腫の治療が始まりました。

悪性リンパ腫の治療薬リツキサン


話は変わりますが、血液病が増えていると最近よく耳にします。
環境破壊、環境汚染が深刻化しています。
日常的にストレスを受けています。
利便追求の、人間の暮らしぶりが原因ですね?
悪性リンパ腫も血液病。
環境汚染の影響が考えられますが?

ネズミに救われました


リツキサンはマウスから作られた薬だと聞きました。私はネズミに救われました。
リツキサンと抗がん剤治療が始まりました。
抗がん剤は、エンドキサンと、オンコピンのみ。
主治医の島田貴先生の私の体力、様々な疾患などを熟慮した上での治療方針でした。
松浦知和先生との綿密な治療方針の成果が、今回のPET検査で確認されました。寛解です!
リツキサン投与は6回、抗がん剤は4回でした。
最後の抗がん剤治療が1月半ば頃でしたから、2ヶ月半経ちました。

悪性リンパ腫の治療が終わり後は治療効果の確認が気掛かりでしたが、
お陰様で、この報告書を書く幸せに恵まれました。

最後に!


これは回顧談ですが、
右腎臓摘出、手術後は、麻酔薬が切れて、これ以上は麻酔薬使用は危険だと言われました。
後でそれとなく知ったのですが、激痛に叫び声をあげ、ひどくうなされて、担当看護師さんに、ずいぶん心労を掛けてしまいました。
申し訳ない気持ちで胸が一杯になりました。
入院時に病室のハンガーに掛けて置いた、ジャンパーの左袖が真っ赤な血で染まっていました。
何故か?今も思い出せないままです。

若い頃、交通事故もやりましたし、いろいろな試練に遭いましたが、悪性リンパ腫との熾烈な闘いは初めての辛い体験でしたが、先生への揺るぎない信頼感が、抗がん剤治療の辛さも乗り越えさせてくれました。

これまでの闘病記をめくると、「肝臓・腎臓・頚椎損傷・左足骨折・歯科・眼科・耳鼻咽喉科・腫瘍血液内科・内科・治療院、等々」書かれています。

戸田剛太郎先生との出会いから始まった(東大附属病院・慈恵医大、消化器内科の教授・東京せんぽ高輪病院の院長)、肝臓疾患の治療は松浦知和先生が主治医を引き受けてくださいました。

私の道、神に与えられた使命を果たせます!
悪性リンパ腫のチェックなど再発させないため、今後も慎重に生活して行きます反省します。

これは私の牧師としての信仰の証でもありますが、
よくもまぁー!ここまで
徹底して病や怪我を取り込んだものだと、妙に感じいってしまうのです。
この際改めて助けられ!救われた!と、言う実感が心の底から沸き上がって来ました。

専門医の先生、医療現場の方々の、1日も早く病を治して、回復して、人様のために働いてください!と、励まし、勇気を与えてくだ さった先生、若い看護師さんの笑顔と言葉が胸の奥底に今も懐かしく響きます。

これで闘病記がおわるわけではありませんが、一区切りつきました。
これから、自己責任の健康管理に一層気配りしなければと自分に言い聞かせています。

重ねて厚くお礼申し上げます。以上を持ちまして感謝の気持ちを込めて、闘病記第3信の幕を閉じさせて頂きます。
ありがとうございました。

愛川英雄拝
愛の樹オショチ(ニックネーム)
2010年(平成22年)3月31日記す



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