PICT3205.JPG

痛みはいかがですか?
体調はいかがですか?
寒くなりましたので、堪(こた)えているのではと、心配しております。

今朝、車を運転しながら思いました。
20年前の手術以来、僕にはどうしてこんなに痛みや痺れやその他の病まであるのだろうか?

おふくろの持っていた糖尿病、そして今度は親父の持っていた心臓にまで問題があるようで、今月予定していた頸椎の手術もできなくなりました。

でもこの疑問の答えがわかったような気がします。

きっと神様、両親は、僕の我儘さや自己中心的な考え、人を信じられない猜疑心の強さ、数えればキリがないほどにたくさんの僕の欠点を直さないと、会社の社員だけでなく、周りの多くの人たちに迷惑を掛けるから、「動いてはいけない」、「痛みと向き合ってよく自分を見つめ直しなさい」ということではないか?

僕は、この脊椎の病を通して、多くの医師たちとお会いしました。鹿児島から宇都宮までさ迷いました。
権威のある方にも無名というか普通の方にもお会いしました。

そして権威のある医師は、立派な方は勿論居られるが、決して名医とは限らない。もし自分が最良の医療を受けたいと思うならば本当にその医師と向かい合わなければならない。
権威のある方は、得てして自分の地位や経験の多さから、「謙虚に学ぶ」と言うこと、そして与えられる時間が忙しくて少ない。

しかし、医療の世界は、日進月歩、めまぐるしく変化している。僕の水産の世界もどの世界も変化している。
この変化を見逃すか、見ないようにしたならば、善し悪しは別として最良の医療は受けられない可能性がある。「治りたい」と思う人にとってはとても不幸なことである。

そして自分を振り返ると、これはまさに自分のことではないのか?
いや自分そのものであると気付きました。

すると周りにいる人の顔が少しよく見えてくるような気がしています。
まだまだいたらない自分はよくわかっていますが、もっと謙虚に自分を見つめ直そうと思っています。
兄貴の痛みの心境に少し近付けるかも知れません。
兄貴は偉大です。
書きなぐりましたので乱文をお許しください。

12月16日
M

M君へ

君のメールを見ながら直感したことを、そのまま伝えます。

君はあるがままを素直に告白していますね。単なる口先の告白ではなく本心から!正直に!勇気ある告白です。

気絶するほどの身体の痛みに代わる代償を天から頂いたのです。病が転機となり病から深く学び、人類愛に生涯を賭け、人々を助けた先達のエビソードは事欠きません。

神の定めに人間は最後には従います。君もです。
無論ご両親の君への変わりなき愛情、後継者としての願いもありますが、先ず価値ある生きざま。そのために今後、如何に生きるか?を、神とご両親に問い掛けられているように、兄貴は思います。

M君は自問自答していますね。求道者のように。
これは君が自分自身の内面、魂の深みに漕ぎだした小舟のようです。
果てしない旅立ちです。君は自分から望まない仕方で、神の定めを受け入れた。

君の痛みに関わった医師の方々の治療が必ずしも成功しなくても、君は必ず切り抜けるでしょう。
肉体の痛みは脳の記憶に残りません。代償の真理が働きます。
やがて帰り行く天界、神の世界には、物質的なものは不要ですから。

波乱万丈の生涯も来世では恵みに変わります。
生きてみる価値は低くはありません。
痛みがつきまとうとも!
この絶対、是が兄貴の「生きる」です。参考になればと思いメール書きました。
大切にしてください†
12月16日
兄貴


有難うございます。
よく見つめていきます。
僕の生きるのはどこなのか?
12月16日
M


最新の項目が開いています。
別項目を開くにはクリックします。

抗がん剤治療にむけて

抗がん剤治療の記録(1)

抗がん剤治療の記録(2)

抗がん剤治療の記録(3)

オショチ メッセージ&ブログ

スクリーンショット(2010-12-06 11.25.51).png