はじめに 庶民のための建築


このページは、1954年から2005年までの、建築家・愛川英雄の仕事を、作品の写真・図面そのほかの資料からご紹介するものである。


自然の驚異、破壊の恐ろしさを知り、安全で災害に強い建築の視点から、意匠設計のみならず構造設計まで身につけるため、研鑽を積んだ。

 

新潟地震(1964)では、ビルや倉庫が軒並み倒壊もしくは使用不能となる中、新潟市漁業協同組合の事務所兼アイスプラントは、建築中であったにもかかわらず、わずか6度の傾きだけで、被害を食い止めた。

 

多様なニーズに応え、新潟宝塚劇場や新潟青陵学園などの施設、病院、工場、そして店舗や個人住宅など、創造性に富んだ発想を、建築として現実化した。

 

クライアントは全国に広がった。東京、新潟、富山、福岡、盛岡と各地に事務所を展開し、富士デザイングループを結成、多数の建築家を率いた経営者としての顔もある。

 

自己の持てる能力と情熱を注ぎ込む中心に、人がいた。

 

そこに住まい、あるいは利用する人々の人格を尊重し、作品は温かい庶民性に満ちている。私たちの泣き笑いを見守っている。パフォーマンスや営利に走り、敷居の高い建物や安全や信頼を損ねる人々とは大きな違いがある。

 

この作品集には、ビルや工場、学校、病院などの大規模建築も多く含まれているが、それらも含めて、冒頭の「住いは心、住いは愛、住いは人類幸福のために!」という言葉は、その歩みを端的に示している。

 

元共同通信政治部記者、政策研究会平河会事務局長を経て、「日本列島改造論」の実質著者であった麓邦明氏は、愛川を「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称した。言い得て妙である。

 

その仕事は、その後の伝道者へと繋がり、人に尽くすという、形にならない作品を日々生み続けている。フィリピンのハンセン病隔離島だったクリオン島への支援は、島の未来をデザインし、15年以上を経た今、島民に希望を与えている。

 

 

2008年1月

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