生命ふたたび(7)

─ある頸椎症患者の記録─

−回想(1)−

つくづく思うことがある。小さな家庭にしろ、会社あるいは国家にしろ、先頭に立つ人の人間性、人はこれに深い影響を受けている。よくも悪くもである。たとえそれがどういうところであっても、人の目の届かないところに、痛む者へのやさしい心づかい、息づかいがあれば、それは全体の人格を表す。

痛みは、悪いことばかりではなかった。この体の中から、深いところから湧き上がる、確かな手ごたえがあった。それは愛の樹ふるさとの家 日田の、そして私たちが近い将来実現を願っている、「愛の樹ふるさとの家診療所」の開設への一歩となった。

その基本は、ディアコニア(奉仕)である。もっと深くは、イエス・キリストの弟子たちへの遺訓の中に含まれている。

私たち小さなグループの、第二幕が開いたのである。一人の弟子を福祉先進国の欧米に派遣し、短い期間ではあったが、現状の長所短所を学ばせた。その上でまず、数名の者たちにホームヘルパー二級の資格を取得させ、丹沢の山が見渡せる高台の、静かな環境の中に土地を求め、ふるさとの家を建設した。だが、何かが足りない。

私たちの愛の会は、発足するまでの22年間は、伝道に励んでいた。ドヤ街に身を投げた。その中で元獣医師のMKさん、愛称マーちゃん(当時60歳)を横浜・寿町のドヤ街から救い出したり、刑務所を出所したばかりのKJ兄(当時57歳)を、「地の塩の箱」の江口木綿子さんに頼まれ引き受け、起居を共にしたこともあった。そういう生活の連続の中で、私の体,肝臓は蝕まれていったのである。

ある日、マーちゃんが突然血を吐いて倒れた。町田市の伊藤病院に担ぎこんだ。そこで聖マリアンナ医科大学(今回私の手術を担当してくださった山下先生の母校でもある)から来ておられた、外科医福田護先生に出会い、同大学病院で緊急手術を受けることになった。

身寄りのない彼の、私がただ一人の身内であった。1988年(昭和63年)4月13日(水)、福田先生より電話をいただいた。マーちゃんの胃がんの手術は心臓に危険性があるため、手術の時期について検討中であると、出来れば翌月半ばに延期したいと伝えられた。

しかし、4月15日(金)、内科の外園医師から「心臓弁膜症があるが手術に耐えられる。腎臓も支障ない」と改めて言われた。2日前は不可能であった。ドクターから、マーちゃんの持っていたタバコを取り上げるように言われ、私は彼からタバコを取り上げた。

4月19日(火)、外科医福田先生に、聖マリアンナ医科大学病院の医務室に呼ばれた。福田先生は私に、「これから手術を行いますが、やはり危険が伴うので、成功するように待合室でお祈りしてください」と言われた。

先生は手術の前に牧師である私に「神癒がありますように」と感動的なメッセージをくださった。むろん、私はそのつもりであったし、この手術は成功するであろうことをその時、確信した。

数時間たって、福田先生に呼ばれた。マーちゃんの切り取った胃袋を見た。まずその第一印象は、でこぼこの胃の中に広がったイソギンチャクのようなものだと感じた。大きいので15ミリ、小さいので5ミリくらい、小さな月面クレーターのようにも見えた。私が生まれて初めて見た、恐しい胃がんの実物であった。

その福田先生は今、大学病院の外科学(乳腺内分泌外科)の教授をしておられると聞いた。

(つづく)

「生命ふたたび」2003年6月1日発行 より

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