〈あとがきにかえて—キリストと私〉

今回の北海道伝道旅行に、弟子の飯田ヤコブ士郎兄が群馬県の迦葉山まで往路アイン号を運転し、見送りを兼ねてついて来てくれた。彼は、この小旅行のノートの冒頭に「清浄、透明感につつまれる。何かが生まれ育つ予感!」と書き残し、沼田駅で別れた。

私はかけがえのない多くの友を神から与えられた。もし人が愛し合うことをやめたら、すべての世界が、自分に敵対するかのように思えたら、私などとても生きてはいけない。心身共に疲れ果ててしまう。

おそらく、そのために人生を全うすることは出来なかったと思う。死出の旅路は唯一人、寂しくはるか遠くに行かなければならない。

だが私は、キリストというお方に出会った時から本当に変えられた。

敬愛し、助け合い、慰め合うことを、主の十字架に視た。私がもし、キリストに出会うことがなければ、手のつけられぬ悪人になり下がっていたかもしれない。

我が内に恨みが残り、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけ、生を死に変えズタズタに傷ついていたと思うとそら恐ろしくなる。

又、愛欲の世界に溺れ、煉獄に、地獄の業火に身を焦がし、救われず、その苦しみに己一人で当たらなければならなかったはずである。それが、全く違った結果になってしまった。

キリストを知り、神の慈愛の世界に、その光の中に導かれた時、私の目の前に新たな命の道が光り輝いてみえた。

この世は慌ただしく去って行く。私の目に頼りと見えたもの、力になると感じたものは錯覚に過ぎなかった。

私は今回の伝道旅行を通し、更に深い神のみ心に触れた思いがする。弱い体は、恐れ、苦痛から逃げようとした。しかし、私の内なる霊は神のみ声に従った。

私は今改めてあのハンセン病、ラザロの姉マルタに言われたイエスのみ言葉を思い起こす。

「わたしは甦りであり命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」

これが私の命の道である!合唱†

(ヨハネによる福音書11章25〜26)

荒野で祷るイエス・

使徒・ペテロ

(心の旅路より最終回)

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