舞鶴要港部兵食献立調理講習記録 (作成: 坂西 美津雄)

昭和七年二月

舞鶴要港部兵食献立調理講習記録

舞鶴要港部経理部

明治生まれの親父の形見、何故か子供心でも興味が有り、持ち出して実家の火事から逃れた一品。

内容の充実さには驚くばかりである。

講師も恐らくは当時の名の有る人物と想像が付く。

解読、再版を心みるが昔字、漢字混じりのカタカナ書きは難しく頓挫。

処どころを読んで要約納得の行く事もあり。

日本帝国海軍の食の部分、生活の風景が想像できます。

又、中には坂西英雄、親父の名も有り。

坂井 陽

貴重な書物ですがよく読めないのが残念。

坂西 美津雄

見る方が見れば読めるのでしょうが、残念私では無理です。(*_*;

河塚 憲明

写真の白米飯、パーミーライスは、パーミー迄が、北京語の白米。ライスは英語。東郷肉じゃが戦争の舞鶴らしい史料ですね。

坂西 美津雄

河塚さん 東郷肉じゃがや東郷カレーなんて言うのは後付、嘘です。当時の日本軍は支那料理を推奨しています。

愛川 おしょち

海軍の麦飯

京慈恵会医科大学。

明治14年1881年5月1日創立・創立者・

高木兼寛博士。

創立以前は海軍の軍医を務め、海軍将兵が、悩まされた食事には、ビタミンが欠乏していることを突き止めました。脚気病で戦意喪失する兵士が続発します。

危機感を抱いた博士は海軍食の欠点を麦飯にすることで解決しましたが、最後まで反対したのは海軍軍医総監の森鴎外でした。

高木博士は一歩も退かず、麦飯が行き渡ると兵士の体力も回復しました。見届けると博士は海軍から身を引き、東京慈恵会医科大学を創立しました。今でも病院の入院食は麦飯が出されます。

海軍食の隠れたエピソードです!

坂西さんの父上の遺された貴重な記録に敬意の念を表します。

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