アシジの聖フランシスコ教会  
聖フランシスコ

聖フランシスコはキリストに最もよく似た人物と語り伝えられるた人物です。

彼のどこが?何がキリストに似たのか?伝説を交えて簡略に記述して見ます。

かたや、イギリスの片田舎に生まれ、小学校卒業の、ジョン・バニヤンとの共通点は、

聖霊体験、回心と、深い祈り。徹底した神への信頼でした。

聖フランシスコの回心体験は、聖ダミアノ教会の十字架像の前にひざまずき、十字架につけられたキリストから

「フランシスコよ行ってわが家を建て直しなさい」と言う言葉を聞いたとき、心の中に全き変化が生じたと言われます。

フランシスコは自分を無学者と呼んでいますが決して文盲ではありませんでした。

中世では大抵男の子は司教座聖堂ゃ小教区に付属する小学校で、初等教育を受けていました。

彼は旧約聖書から39回、19の新約聖書から200回引用しています。

彼は自宅からさほど遠くない、アシジの聖ジョルジオ教会の付属小学校で受けました。

彼がどのくらいの期間学んだのか?先生達のこと、学力の程度はわかりませんが、彼の真価は意外な人達との接触によって磨がれました。

その人達とは、吟遊詩人(トウルバードール)。旅芸人(ジヨングラー)です。

吟遊詩人とは詩の創作者で、騎士的な愛ゃ偉業などの詩をプロバンス語で歌っていました。

旅芸人は創作者ではなく、他人の詩、吟遊詩人の詩を歌うだけでした。しかし、吟遊詩人も旅芸人も当時の生活に大切な役割を果たしていました。

というのは、宮廷や城、あるいは街角の十字路や公衆広場などに余興のためにいつも招かれていたからです。

彼らの歌は、シヤルル大帝、聖杯(キリストが最後の晩餐に用いたもの) ギニヴエル姫、メリーンなどです。彼らは当時の大衆向き話家であり、一般民衆の渇望していた文化形態を人々に提供していました。

かたやフランシスコの父親、ピエトロ・ベルナルドーネは、織物商人として財を成していました。息子をひとかどの商人になれるように訓練しましたが、ある日回心父親の望みを振り切り家を出ました。

彼は神に従いました。内的な衝動と人間の本性について深い知識を知るにつけ、彼は後を慕う弟子達のためにとって価値あるもの、人間に不可欠なものは何か?真摯に追及し、具体的に生活に反映させました。

彼が書いた一つの書き物《太陽の歌》は後の多くの詩人、あの偉大な詩人ダンテに深いインスピレーションを与えるほどの詩的高みにまでのぼりました。

アシジの聖フランシスコの生涯の小品集より(一部意訳)紹介

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