(悪童の懺悔)

この伝道旅行は、私の心の奥底に秘めていた様々な思い出とのめぐりあいの旅でもあった。又、私は、これから我が為すべき事について、深く考えるところがあった。限りある身に(肝硬変の末期)残された時の中で、我が果たすべき使命について、神にたずねた。

「旅に出よ。聖霊が導くであろう!」

ふと、少年の日の事を思いおこした。とにかく、私は親戚中のやっかい者、悪たれ小僧の典型であった。その悪童の私に手をやいた母は、思い余って、日田の田舎の我が家の菩提寺、西光寺に私をあずけた。浄土真宗であった。

母が尊敬していた老和尚なら、何とかしてくれる。少しは良くなると、最後の望みをかけた。母は、私の事で悩み抜いて親戚中に相談したが、なかなか相手にされなかった。

ところがである。たった一夜にして、老和尚に私は追い帰されてしまった。寺の供え物を食い、夜中に和尚をおどかし、広い堂内を所構わず走り回った。解放感にひたった。

「悪ガキがひどい。寺がメチャメチャにされる」老和尚がひどく立腹して、母に苦情を言った。

「この子に坊主を求めるのは無理じゃ。坊主に向かん。手に負えん。見込みがない」と言われて、母はがっくりと肩を落としていた。

途方にくれた様子であった。その様子を見かねて、私は母を慰めた。

「母ちゃん。そのうち何とかなるばい」

その時、「ばしっ!」と目から火が出た。母の強烈な平手打ちをくった。そこに、ものすごい形相をした母の顔を視た。

しかし、それも束の間だった。母はハラハラと泪を流し、優しく私を抱いてくれた。ポタポタと母の熱いしずくが私の坊主頭をぬらしてゆく。黙って抱き締められて、私も自分のなかに、何かとても母を苦しめている"悪いもの"があると感じて、わけもわからず泪を流した。

今にして思えば、これが回心の体験であった。私の出生に関係したのかもしれない、その秘密とは、父と母とは、庄屋同士の形式的結婚の犠牲者、すなわちスケープゴートだった(父は大分県日田市、当時は日田郡といった、五和村堂尾(どうの)の庄屋の次男坊に生まれた。母は少し離れた村の、これも庄屋の五人兄弟の三女だった)。医師の長男が亡くなると跡継ぎのお鉢が回ってきた。父は

逃げた。車を買わせて北海道に逃げた。

続く

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