愛のない生活が破綻するのに、それほど時間はかからなかった。"政略結婚"。好きでもない者同士が両家の損得で当人の意志におかまいなしに無理強いされ、一緒になった父は嫌って、母の胎内に私がいることも知らず故郷を捨てた。

母は再婚して苦労しながら、私を育ててくれた。父は、心の広い優しい人だった。彼は、芸術家だった。ヴァイオリンをよくひいていた。

実父の血筋に井上準之助がいた。大鶴村の造り酒屋の五男坊で、冷や飯食いの一人にすぎなかった。

"準ちゃん"田舎ではこう呼んでいた。その"準ちゃん"が、1932年(昭和7年)2月9日、東京本郷、駒木小学校の民政党の演説会場を出たところで、狂信の徒に暗殺された。63歳であった。浜口雄幸に頼まれ、不人気覚悟で遺書を書き残し、 大蔵大臣を拝命した。 彼は海軍の戦艦増強に反対して軍事費を削減、日本の実体にあわせて、金本位に国家経済の舵を切った。酷い副作用が出た。貧しい農村の崩壊、若い娘の身売り等々。後々総理になる、ダルマサン→高橋是清に、外務大臣の打診があった時、 「花は野に置けレンゲ草」と、やんわり、ロンドンから電報を送っている。(城山三郎著、男子の本懐)

憎しみを一身に我が身に受けた井上準之助は、テロリストの格好の対象にされた。

暗殺を指示を出したのは、一人一殺を救国の手段と錯誤した日蓮宗の僧、井上日昭!暗殺実行犯は若い狂信徒、小沼 正27歳。

ピストルの弾を背後、約3メートルの至近距離から3発打ち込まれて即死した。雪の降る寒い日であったという。この異様な出来事に日本国内外が、そして田舎の親戚中が大騒ぎとなった。

その1年後の1933年(昭和8年)2月10日"準ちゃん"の生まれ変わりのようにして、私は「オギャー」と何も知らずに生まれてきた。祝福されない赤子であった。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

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