恥ずかしい自分史ですが何かお役にたてたら幸いです。

【悪ガキの改心】

私は子供の頃、悪ガキと呼ばれていた。親戚中の嫌われ者であった。なぜ、悪ガキと言われたのか、恥ずかしいけれど告白しなければ話は先に進まない。顔をしかめるような話であるが、何しろ、悪ガキの事だからお許しいただきたい。

私はあまりケンカは強くはなかったが、よくケンカをふっかけられた。目があうと相手にカチンとくるらしかった。他愛のないことでとっくみあいが始まった。

いつも勝つとはかぎらなかった。服はボロボロ、体中アザだらけで帰って、家族に見つからないようにそうっと始末をしたことであった。

ある日、悪童仲間を二人、家に連れてきて、前庭の柿の木をよじ登り、二階の屋根に登ると、下に向って放水した。

時折、うまくいくと小さな虹が出来た。そこを近所の人に見つかって母親に告げ口された。

「二階の屋根から下に向かってオシッコするなんてとんでもない!」

その夜、母親にこっぴどくしかられた。

秋になると、あたりに真っ赤な柿がたわわに実った。どうしても家の柿より隣の柿がおいしそうに見えて、片っぱしからたたき落として味見をした。「なんだ。こりゃ。渋柿か。見かけによらんばい」

運悪くその現場を押さえられ、「渋くて悪かったな。このガキ」と、にらみつけられた。その夜もまたこっぴどく母にしかられた。

今度はおもしろいことを考えた。柿の木のこんもりしげった上の方に登って、そこにオバケのお面をひもでつるし、通りがかりの人の上にいきなり落としてびっくりさせておもしろがっていた。

これでは人に好かれるはずがない。とうとう堪忍袋の緒がきれた母親に、ある夜、柿の木に両手足をきつく縛られ、「そこで自分のやったことを反省しなさい」と言われ、一晩、放置されてしまった。

足元からアリがはい上がってくる。が、どうにもならない。そのうち腹もすいてきた。無性に腹が立つ。自分の不始末を棚に上げて、私は心の中で母をののしっていた。

「今に見ちょれ。きっと仕返ししてやるバイ」

何とか縄をほどこうともがいてみたがますます食い込んでくる。痛くて悲鳴を上げそうになったが、それだけはやめた。

もうこうなったらなるようにしかならない。

私はふてくされて「こんちくしょう。どうにでもなれ!」と思ったら、不思議に腹がすわって眠くなってきた。

どのくらいたったのか。「カタッ」と小さな物音がした。ふと人の気配を感じた。暗闇に目をこらすと、ぬれ縁に黙ってすわっている母の姿が目にとび込んできた。

私はハッと胸をつかれた。母が泣いていたのだ。声も立てずに。暗闇の中で柿の木に縛りつけた悪ガキの息子の将来を深く深く憂えていたのだ。

母は黙って私を見つめた。この瞬間である。私の心にいいようのない感動が走った。それは言葉にならない。が、しかし、深い、あたたかい母の温もりであった。

母は一晩中、私の側にいてくれたのだった。私はそれに気付かなかった。この母の愛の懲らしめが、私を悪ガキから救い出してくれたのだ。今にして思えば、これこそ、母の無言の真実の教えであったと思う。

この夜、縄をほどかれ、許された私は、母の前に両手をついて心の奥底から「ごめんね」とあやまることが出来た。その後の成長は、母を抜きにしては語れない。

果てしない人間の深い業を思う。人は「オギャー」と生まれた時から業につきまとわれる。それゆえ、つまずいたり、過ちをおかしたりもする。だが、私は決して落胆しない。

失敗だらけのどうにもならないこの私が、母のひたむきな愛の力で、立ち直ることが出来たのだから。

心身共に堕落して生きる値打ちもないような者にさえ、いのちを救い上げる力が優しさの中にあると私は確信している。人はこれを慈しみ、あるいは愛と呼ぶ。

私はこの経験を今でも忘れない。私のそれからのいのちの回復の道は母の力によったのだから。

「舞いおりた天使たち」より抜粋

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