−函館・トラピストにて−

北海道の祈りと巡礼の旅はトラピストから始まった。函館市からほど近い上磯町に、渡島当別(オシマトオベツ)と呼ぶ地がある。その国道228号線添いの津軽海峡を見下ろす小高い丘に建てられた、古い赤レンガ造りの修道院がトラピストであった。

1889(明治29年)、90年の歴史を持つフランスのシトー会から数名の修道士が来日した。この修道士たちの手によって建てられたのが、トラピスト修道院である。正式には、宗教法人灯台の聖母カトリック教会と呼ばれている。

彼らと、それに加わった日本人の修道士たちは「祈れ働け」をモットーに生きながら、トラピストの伝統に従って、熊笹の生い繁る原野を開拓し、乳牛を飼い、独創的な乳製品を作り上げ、北海道の酪農の振興にも多大な貢献を果たしてきた。

「祈りと沈黙」の中に生活する修道士にとって、土地を耕したり、牛と共に過ごす日々は神への賛美と感謝であった。

−老修道士−

ルルドの墓地の入口に小さな建物があった。一人の老修道士が聖書を黙読している。時折、目をつぶり、祈り、又、聖書に目をやる。私はその様子を静かに見つめ、彼が来訪者に気付くのを待った。

「何か、ご用でしょうか」

「ルルドの墓地に行きたいのですが」

「見学のお約束は?」

「いいえ、今朝方、東京から来たばかりで約束はしてありません」

彼は私の胸元の十字架を見て「ご案内いたしましょう」と言ってくれた。折しも、台風9号の余波のひどい風雨に、私もアイもずぶ濡れであった。

「お許しいただければ、一人で行きたいのですが」

老修道士の顔が和んだ。「ゆっくり、お祈りして下され」

白い頭髪とあごひげ。がっしりした広い肩巾。聖なる労働の証しのゴツゴツした大きな手。それに小さな優しい目。

私は持参したクリオン島のトラクトとキリスト新聞のコピー、それにハンセン病の人々がつくったグラス・カードを彼に差し出し、お願いした。

「この子供たちのために、この土地にやってきました。これから祈りつつ、主のご加護を信じ全道を巡り、優しい心の持ち主にめぐりあえたなら、どんなに幸せでしょう。その手始めに、まことに不躾ですが、あなた様からこれを修道院長様にお渡し下さいませんでしょうか?」

老修道士は少しの間考えて、「はい、お引き受けいたしましょう」と微笑んで答えてくれた。

ルルドの墓地は林の奥の方にあった。なだらかな斜面の左右に、広いきれいな牧草地が見えた。その奥は、太古の原生林が、手つかずのまま残っている。

−ルルドの墓地−

真新しいお墓が目に入った。その前に、きれいな花が供えてある。婦人がひとり小屋の中にいた。聞くと、父の弔いのために来たという。雨の降りしきる中、墓前にひざまずいて、アイと祈った。婦人も後ろで合掌している。

聞こえるのは大地を叩く雨の音と木々を揺する風の音だけである。祈り終えると、婦人は「父のためにお祈り有り難うございます」と静かに頭を下げた。墓碑銘には「栖本ペトロ ルチア」と刻まれていた。私は静かに讚美歌を口ずさんだ。

(讃美歌90番) 1 ここもかみのみくになれば

あめつち御歌(みうた)をうたいかわし

岩に樹々に空に海に

たえなる御業(みわざ)ぞ あらわれたる

2 ここもかみのみくになれば

鳥の音(ね) 花の香(か)主をばたたえ

あさ日ゆう日 栄(は)えにはえて

そよ吹く風さえ かみをかたる

3 ここもかみのみくになれば

よこしま暫しは ときを得(う)とも

主のみむねの ややに成りて

あめつち遂には 一つとならん

アーメン

(日本基督教団讃美歌委員会著作権使用許諾第2097号)

「永遠の眠りについている信仰の友、安らぎのみ国の天人たちよ。再び死を見、味わう事のない至福の人々よ。あなた方に神の慈しみのいやまして、キリストのみ光の中に愛の中に永遠にあれかし」

アーメン 合掌

老修道士にお礼を言おうと立ち寄ると、十字を切り、合掌し「マーラナータ(主よ、来たりませ)」と、祈ってくれた。私も「マーラナータ」と合掌し、トラピストに別れを告げた。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

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