毎日生きることと真摯に向き合っています。

闘病生活の中から生み出せるものがあります。

「神との霊的交わりです。霊魂不滅の希望です。」

ロバート・ブラウニングの詩、ラビ・ベン・エズラは若い日には難解でしたが、少し解りかけてきました。

(二十)

もし 義と善と無限なるものとを

汝の手を汝のものと呼び得るように

絶対的知識をもって

ここで名指し得るならば 今や十分だ、

若き日をにぎわし

汝に独自の感慨(かんかい)を得させなかった愚人どもの

あの論争(いさかい)に左右されることもないまでに。

(二十一)

一度すっかり小人輩(ばら)から

偉大なる人を 厳別せしめよ!

おのおの 過去における地位を明示して。

何れが正しきや? 世が非難せしこの私か、

はた わが魂の軽蔑したる彼らか。

老年をして 真実を語らしめ、

最後には 平安を我らに与えよ!

(二十二)

そこで 誰が裁断するのか?

十人が 私の憎むものを愛し、

私の従うものを避け、私の受けるものを軽んずる。

その十人、耳も目も私に劣らず。

我らすべては 推測するのみ、

彼らはこの事を、私はかの事を。

誰をか わが魂は信ずべき?

(二十三)

「事業」と呼ばれる 卑俗な嵩(かさ)の上に

判決を下すべきにあらず。

人目を引き 値のついたような仕事に、

低俗な世が 平俗な立場から手を置いて

直ちに気に入って 忽(たちま)ち値踏みできたようなものに、

━━判決を下すべきにあらず。

(二十四)

されど この世の粗(あら)い親指と中指とで

測りそこねて 主なる評価も

せぬままに 見過ごした全てのこと、

未だ熟さなかった全ての直覚力、

未確定の全ての志望、

それは 人の事業として秤(はか)られないが

なお その人の真価を増したものだ。

(二十五)

狭苦しき行為の中に

詰め込み得ざる思想、

言葉を破って逃げゆく空想、

私が望めど 成り得なかった全て、

私の中にあるのに 人々が無視した全て、

━━これぞ、神に対する私の価値である。

神の轆轤(ろくろ)が この壺を形造ったのだ。

(二十六)

ああ、観(み)よ 陶工の轆轤(ろくろ)を、その比喩(ひゆ)を!

そして感得せよ、なぜ時が 速やかにめぐり

なぜ土塊(つちくれ)の我らが 受身で置かれているかを。

馬鹿どもは 酒が一座をまわるとき

汝に談論して言う、

「人生はたちまち過ぎ、全ては変化である。

過去はもう去った、今日をつかめよ」と。

あと一回で終わります。

   愛の樹オショチ†

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