【ミッション】

正直な話し、私はミッションが苦手であった。

しかし使命を与えられたからには、神の使命は、果たさなければならない。

心は重かった。

恩師、吉村騏一朗先生との約束も心から離れない。

自分の心の葛藤と闘っていたある日、アメリカ人(氏名は失念)の宣教師の話しを聞き、それまでの自分流の小さな、みみっちい、ミッションの在り方、過ちに気付かされた。

彼は単身、アフリカの未開の地にミッションに入った。

長い間ミッションを続けたが、成果もなく風土病に倒れた。

一人の信者も得ないまま、ジャングルで息を引き取ったのである。

誰も彼の心中は、はかれないが、キリストの福音に身を投げた事実は残った。

「単身、孤独の殉教者」だと私は思った。

その篤い信仰心と純粋な使命遂行に畏敬の念を抱いた。

到底、私の出来ることではない。

その後日談がある。

彼の死は無駄死ではなかった。

彼の跡に続く若い宣教師達が現れた。

信仰心に火を点けたのである。

遼原の火のように燃え盛った。

若い宣教師達の使命感は自ら進んで困難なミッションに立ち上がった。

中には危険を省みず中国に入り中国人にキリストの福音を伝えた。

福音はやがて国境を越えて韓国人にも伝わりキリスト教会が建ちはじめた。

我が国には、フランシスコ・ザビエルがキリストの福音を伝えた。

アフリカのジャングルで目的を果たせず孤独死した宣教師の蒔いた一粒の種は後の日に多くの実を結んだのである。

私の使命を深く考え直す機会になった。

【サン・ピエトロ寺院】

ローマのバチカン宮殿「サン・ピエトロ寺院→聖ペテロ寺院」

世界に冠たる巨大宗教寺院の立役者はイエスの筆頭弟子の、ペテロである。

エル・グレコ「聖ペテロの涙」(1600-1605年頃)

無学な、ガリラヤの漁師ペテロがイエスに出会わなければローマのバチカン宮殿は存在しない。

世界中に信者を持つ巨大宗教(中国、インドの人口に匹敵する)は、一人の漁師、ペテロの逆さ磔(はりつけ)の殉教死の跡に建てられた。

ローマ法王は神の代理者として10数億の信者の頂点に立つが?

イエスを最後に裏切りユダヤ人の大祭司カヤパの官邸で、イエスを知らないと言った、弟子ペテロを抜きにして、ローマ法王もバチカン宮殿も存在しない。

サン・ピエトロ寺院

【イエスの裁判】

ユダヤ民族の最高の法的、宗教的権威を持っていたのは、エルサレムの議会サンヘドリンであった。

このサンヘドリンは七十人又は七十一人から成立していたが、小人数のサンヘドリンもあった。

イエスの裁判はここで行われた。

当時の議決の仕方は、いくつかの意見を対立させ、例え少数意見でも異論を称える者があるならばその異論と対比させ、正論が証明されるまで裁判をやる。

だから全員の意見が一致することはまず考えられない。

もし意見が一致するようなことがあれば、それは偏見か、興奮によるものと見なされて無効になるか、一日置いて裁判をやり直した。

当時のユダヤ人の死刑は石打の刑であり神を冒涜する者は誰であれこの処刑にされた。

しかし大祭司カヤパはそれを執行せず直接には関係のないローマ総督ポンティオ・ピラトにイエスを引き渡し死刑にするように仕向けた。

ローマの死刑は十字架刑であった。

総督ポンティオ・ピラトはイエスの罪を見出だせなかったが、周りのユダヤ人の扇動に負けてやむを得ず死刑の判決を出した。

不当なサンヘドリンの判決に最後まで、自信が持てなかった大祭司カヤパは、ローマの政治力を借りてイエスを処刑した。

死後の霊界で、ローマの総督ポンティオ・ピラトは「私には罪は無いと言い。手を洗い続けている」と言う不思議な逸話もある。

【ペテロの号泣】

律法学者、長老たちが集まってイエスの扱いを協議した。

イエスの後を追って、ひそかにカヤパ官邸に入ったペテロは家人に見咎められ、イエスの言葉通り、鶏が三度鳴く前に、イエスを知らないと否定した。

外に出てイエスの言葉を思い出して号泣した。

イエスはペテロを咎めず愛の眼差しをペテロに向けた。

「カヤパたちは、あなたは神の子キリストなのか?と問い、ついに死刑に相当すると断定してローマの総督ポンティオ・ピラトに引き渡した」。

臆病者、ペテロは、イエスの死後、良心の呵責から殉教を覚悟して、ローマを目指したたが恐怖心に駆られて又、逃げ出した。

アッピア街道で、イエスに出会い驚愕する。

ペテロの口から出た言葉は「主よいずこえ?→クオ・バディス?」

イエスはペテロよ!お前の代わりにわたしがローマに行くと言われて再びローマに引き返し逆さ磔にされ殉教死した。

 クオ・バディス教会

【ペテロ】

ルーベンス「聖ペテロ」(1614)

 
先に述べたがもう少し説明したい。

ぺテロはイエスの12人の筆頭弟子である。

性格は衝動的、情熱的、活動的で、断固たる決心と瞬間的臆病との間を動揺することが多くあり失敗談が伝えられている。

人間らしい弟子で彼に「聖」 は似合わない。

ガリラヤ湖北岸ベッサイダでシモンと呼ばれていたペテロは父ヨナ,弟アンデレらと共に漁夫(漁師) であった。

ガリラヤ湖辺でイエスと出会い召命された。

人間をとる漁師にしてあげようとの言葉にただちにこたえ弟子となった。

イエスのみもとにいて特に重んぜられたグループ(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)のひとりであった。弟子代表としてイエスと深くかかわりを持ちその言動は知られている。

特に、ピリポ・カイザリヤ途上でのイエスへの信仰告白でペテロは教会の基としての岩(ペトラ)と呼ばれた。

イエスが復活した初代教会の指導者となり信仰的指導を託された。

イエスの昇天と聖霊降臨(ペンテコステ)を通して、ペテロは「ケパ」として呼ばれた。(ケパ→岩→アラム語のケーフアーの音訳。ギリシヤ語のペテロ)

彼は後にローマ教会の大監督として活動的役割を果たすが、ローマ皇帝暴君ネロの手にかかり逆さ磔の刑死を遂げた。

サンピエトロ寺院の聖人像(中央がイエス、右がペテロ、左がパウロ)

愛の樹オショチ†

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