【断食祈祷】

箱根・大涌谷の断食を含めて、四度の断食を体験した。

人間の力ではどうにも成らなぬことがある。

生き物の死は止められないし、時間の流れも止められない。

運命と言う、不可抗力に人間は従う他はない。

その不可抗力、不可能に対応せざるを得ない事態に”わたしたち”は追い込まれた。

古い記録から引き出したメモに、日時と場所、断食祈祷の理由が書いてある。

「第一回目」
湯河原の知人。日本キリスト教団湯河原教会の故・金子益雄牧師の教会納骨堂で断食開始。
1973(昭和48)/1/31-2/10までの10日間。40歳。

理由はふるさと日田の妹の失明であった。

医師にも見放された。

真冬の山中で、冷たい納骨堂のコンクリートの床にござを敷いて断食祈祷に入った。
床から冷気が突き上げ身体に突き刺さる。

ひたすら妹の目が開くように、それだけに祈りを集中した。

妹の幼い子供たちの姿が目に浮かぶ。

私の心を支えたのはイエス・キリストの奇跡の物語であった。

生まれつき目の見えない若者や、38年間病気で悩んでいた婦人を癒したことがあった。

ベテスダの池と呼ばている。(ヨハネ5:2-9)羊の門、後にトルコ時代に再建されて、ライオンの門と呼ばたが、羊のいけにえ用の動物が通過した門である。

石打の刑に処された義人ステパノの門とも呼ばれている。

この門を右に曲がると五つの柱廊のある、ベテスダの池に着く。

東西二つの水槽があり、当時は巡礼者の沐浴に使用されていた。

その池で、イエス・キリストの奇跡を目の当たりにした人々が大勢いた。

その証が聖書に詳しく書いてある。

私はその奇跡を信じて妹の目が開くように願った。

【断食の苦しさ】

昼間は、山の中腹から湯河原駅や街並みや、その先に太平洋が広がっている。眺めのよい高台であるが、周りはミカン畑と雑木林に囲まれて夜は不気味であった。

猿が近くまできて枝を揺すったりする。

見かけない侵入者を脅しにくる。

この一帯は昔、北条氏が治めた時期があったが豊臣秀吉の圧倒的な軍事力に敗れた。

激しい戦があった古戦場の中に納骨堂が建っていた。

地元の人から聞かされたのは戦で無念の死を遂げた武将や兵士の亡霊が出るから、気をつけてくださいであった。

どこから、いつ出るか分からない亡霊に気を付ける方法などありっこ無い!

地元の人たちの噂では、首の無い武将や無念の形相をし、槍を持った血だらけ、傷だらけの亡霊を、村人が見たと言う。

怖いところだから、お祈りするなら、ついでに死者の霊魂を弔ってくださいと頼まれた。

断食初日の夜中にひどい風雨に襲われた。戸の隙間から風がヒュウーヒュー吹き込む。

それはまるで何かにひどく怯えた、女性の悲鳴にも聞こえた。

正直、鳥肌が立った。

古戦場に屍となった無数の死者の霊魂、時折古い人骨が出ると、教会の施設の方からも聞かされた。

背筋が凍る。

祈らなければここには居られない。

しかし、断食前に、電話口で妹が泣いて苦しみを訴える声が響く。膠原病等も患い、最悪事態であった。

私は神に縋る以外、成すすべがなかった。

「最後の神頼み」に私の命を賭けた。

断食が一番堪えたのは5日目であった。

気がおかしくなりかけた。

「途中で無駄な断食などして何になる?イエス・キリストの奇跡など信じるな!」

変な囁きに悩まされた。

前に断食の経験者から聞いた話。

「ある教会の牧師が断食をした。動機は、教会の魂の管理者として霊的な力を得て教会を霊的に支配することだと後でわかった。
断食7日目に彼は発狂して自殺した。」

不純な動機の断食は殊に宗教家には命取りになるから慎重に対応することと、忠告されていた。

脳に栄養を与えるために脂肪が減り身体は痩せていく。

6日目の朝、不思議な体験をした。

冷たい納骨堂の中が金色に光り輝いている。

わが目を疑った。

外に出てみた。納骨堂の周辺の木々が光り輝いている。

毎朝、山の下から水を運んでくれた、金子益雄牧師が異変に気付いた。

断食の祈りが神に届いたのですね!

満願まで後4日、頑張ってください!

励ましの言葉に辛い断食がその日を機会に確信に変わった。

満願の朝を迎えた。

妹の目が開くか?どうかは神がお決めになる。私の役目は終わった。

「神よ!御心のままになさって下さい!」 と祈り納骨堂を後にした。

それから数日後、妹から報せが届いた。

「兄さん、わたしの目が見えるとよ!」

「第二回目、第三回目」

続いて、箱根大涌谷と湯河原の金子牧師の教会の仮設プレハブ小屋で
1981(S56)年5月21日〜5月28日(7日間)独立伝道の誓願断食。

湯河原、城山学園で、は、その時、22歳の初々しい、前田隆宏君(ヤコブ)にはじめて会った。

彼は家庭の事情で孤児となった、子供たちの世話を親身にしていた。

断食終了間際。

草ぼうぼうの中から一人の青年が突然現れた。

彼の願いを聞いて霊名をつけた。前田隆宏君22歳。清々しい青年であった。

「ヤコブ→創世記ヤコブの誕生てある」

(余談だが!彼は全日本けん玉チャンピオンに五回。準決勝二回。日本一のけん玉の王者になった。)

彼は按主を受け霊名を受けとり合掌して、飄々と草むらの中に消えた。

胸にこみあげる熱いものがあった。

断食開け、秋山君、小野君(その後牧師になる)と前田ヤコブと四人で聖餐式を執り行った。

パンはヤコブの手作り。

葡萄酒は山の麓の店から買った。

実に懐かしい忘れがたい思い出である。

【隠れキリシタン】

その後すぐ、6月初めから丹沢、御岳、山梨の丹波山中を祈り歩き、6月5日に奥多摩山荘、奥平正さんとの出会いがあった。彼は隠れキリシタンであった。

断食の苦しい最中だったとメモしてある。

彼一人、村人のなかのクリスチャンであった。

村人は彼の信仰を知らなかった。

「第四回目」

町田伝道所の自室で断食開始。
1981(S56)年10月1日〜21日(三週間)
旧約聖書39巻新約聖書27巻計66巻を読破。
聖霊体験する。

以上が私の独立伝道の始まりであった。

わが師、故・吉村騏一朗先生との約束の旅立ちの日となった。

今振り返ると自分独りが苦難の道を歩いた訳ではない。

眼には見えないがイエス・キリストが傍に付き添ってくださったことが実感できる。

続きます。

愛の樹オショチ†

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