『悩みつつ神に信じて生きること。』
生きることから生じる悩みごとの何と多きことよ!これが実感です。
生きることは、わたしたちの理解を超えた体験の連続です。
人生に悩みや不安は、つきものです。
苦しみも災いも失望も死の怖れも不安もない人生なんて実感出来ません。
しかし、それに打ち勝つ優れた希望があればとんでもない悲惨、不安からでも心は救われます。
ある癌末期の親しい患者さんから、
僕の苦しみは、死、そのものより、死を迎える過程で生じる、不安、心の葛藤と、どう向き合えばよいのでしょうか?来世とは一体どんな場所なのか?
と、聞かれました。
彼は、キリスト教の聖画の中を覗いて視ると、天国の楽園は鮮やかな色彩に彩られています。
綺麗なお花畑、大きな虹。光り輝く空。楽しげに生きている生き物たち。
生きていたときの不安様々な苦痛から解放されて、笑いさざめく人々。
あれは絵でしょうか?事実でしょうか?
すぐに答えることは出来ませんでした。
奥深い天国の神秘について一言で解きあかすことは不可能です。
率直に本質を突いてくる質問に対して単なる飾り言葉の天国論はその場しのぎの
慰めになっても本物の解決にはなりません。
死にゆく人を見送る家族の嘆き悲しみは、人間だけの力ではどうにもならないし、人々の心にどう響くか分からないのです。
わたしは答えました。
あなたはあなたの努めを立派にやり遂げました。後は、神様に信じて、あなたを神様に任せてださい。わたしはあなたを決して忘れません。わたしたちの信じる天国で再会しましょう。霊の兄弟ですから。
彼はその言葉を信じてくれました。
死の7時間前に交わした最期の言葉です†
わたしは鮮やかに想いだします。
奥深い神秘的な天国、来世の生活は肉眼では見えませんが、人間が最後に頂く至福を、それはすぐ目の前にあると!信じています†
ヨブ記に移ります。
「ヨブは答えた。」
あなた自身はどんな助けを力のない者に与え
どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。どんな忠告を知恵のない者に与え
どんな策を多くの人に授けたというのか。誰の言葉を取り次いで語っているのか。
誰の息吹があなたを通して吹いているのか。
亡者たち、陰府の淵に住む者たちは
水の底でのたうち回る。陰府も神の前ではあらわであり
滅びの国も覆われてはいない。神は聖なる山を茫漠としたさかいに横たわらせ
大地を空虚の上につるされた。密雲の中に水を蓄えられても
雲の底は裂けない。神は御自分の雲を広げて
玉座を覆い隠される。原始の海の面に円を描いて
光と暗黒との境とされる。
天の柱は揺らぎ
その叱咤に動転する。神は御力をもって海を制し
英知をもってラハブを打たれた。
風をもって天をぬぐい
御手は逃げる大蛇を刺し貫いた。だが、これらは神の道のほんの一端。
神についてわたしたちの聞きえることは
なんと僅かなことか。その雷鳴の力強さを誰が悟りえよう。
(ヨブ記 第26章)
続きます。
愛の樹オショチ†