昔のことですが、親しい会社の社長さんから難題を持ち込まれました。

会社の経営に行き詰まり、アドバイスを求められたのです。

「この危機を乗り越える知恵を貸してください!」と。

あれこれ考えましたがなかなか良い知恵が浮かびません。一晩の猶予をもらい聖書に目を通していたとき、心が釘付けになりました。

それは旧約聖書ヨブ記でした。

わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。

ヨブ記1:21~22

次の日、社長さんに会い、ヨブ記の話をしました。

話を聞いていた社長さんが言いました。

ありがとうございます。

お陰様で心のなかのもやもやが吹っ切れました。

元々わたしは田舎で小さな会社を経営していたのですが、友人の借金で潰され、裸一貫で夜逃げしてきた人間ですから、あの時の苦労を思えば、今はまだまだ余裕があります。

心が挫け、弱さに負けていました。すっ裸になる覚悟が出来ました!すっ裸になる覚悟があれば、怖いものはありません!

それから、困難は付き纏いましたが、見事に危機を乗り越え会社を立て直しました。

今は、天国に移籍されましたが、あの時の顔の輝きが瞼に焼き付いています。

義人ヨブのひととなりを後で少し記述します。

その前に一言!

愛の樹ネット教会では聖日礼拝†の聖句を毎週更新しています。

現在は旧約聖書詩編です 。

このヨブ記は第1章から第42章で構成されています。

67ページになります。

詩編と重なりそうですが、オショチブログに連載します。

内容が今の日本人の試練に対する心の在り方、実際問題に苦しむ人々に生きる力と、励ましを与えてくれると、感じたからです。

義人ヨブの耐え難い苦難に私たち自身を重ね合わせて見ました。

彼は苦難を乗り越える力を与えられ、苦難の中で、神との直接的対話を求める中に、死を乗り越えた永遠の生命の可能性の思想に到達します。

旧約時代の背景を見ればまだ夜明けは遠く、全き希望の光!は見当たりませんが、ヨブ記には、新約の復活のあけぼのが予感されます。

ヨブ記の主人公は、あのパレスチナ南東エドム地方のウヅに住んでいた富める心の正しい人物だと記録されています。

およそ紀元前400年ごろに記述されています。

このヨブ記の物語は謎に包まれています。

定かではありませんが、ヨブ記の作者は、パレスチナに住んでいた、知恵文学者のひとりと想定されていますが、それ以外は謎に包まれ全く知ることはできません。

試練の始まりは?

その正しさゆえ、ヨブは神の誇りでした。

ある日サタンが彼の信仰の動機を功利主義的であると疑ったのが発端です。

サタンは、ヨブを苦難に落とし入れたら神を呪い、彼の信仰は偽物で化けの皮が剥がれると、神を挑発します。

このドラマはまるで詩劇的です。

序曲、本曲と、中間に劇詩が書かれた三部作のように思いました。

これから始まる義人ヨブの神とサタンの間に巻き込まれた詩劇を、私たち自身の心の奥深く展開する、神とサタンの闘いに置き換えてみると、ヨブ記の時代にタイムスリップして臨場感溢れる、3Dの立体画像が見られる可能性があります。

続きます。

愛の樹オショチ† 
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵「表紙」、1825

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1件のコメント

  1. あれも、これもと考えずに、まずは、今を受け入れ、求めるばかりでなく、今が幸せなのだと気づくことが大事だと思いました。感謝です。頑張ります!

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