“眠れぬままに”

コリント人への第二の手紙を読んでいたら、記録がありました

2009年3月23日(月)激しい痛みのため、オショチが、東京狛江市東京慈恵医大第三附属病院に行き、そのまま入院。26日(木)モルヒネと共に退院。

痛みの激しい22日(日)の聖日礼拝の聖句、コリント第二の6章。

わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

神はこう言われる、

「わたしは、恵みの時にアタナの願いを聞き入れ、救の日にあなたを助けた」。

見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、

かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、

むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも、

真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、

真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、

ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、

人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、

悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。

コリントの人々よ。あなたがたに向かってわたしたちの口は開かれており、わたしたちの心は広くなっている。

あなたがたは、わたしたちに心をせばめられていたのではなく、自分で心をせばめていたのだ。

わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい。

不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。

キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。

神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、

「わたしは彼らの間に住み、
かつ出入りをするであろう。
そして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう」。

だから、「彼らの間から出て行き、
彼らと分離せよ、と主は言われる。

そして、汚れたものに触てはならない。
触なければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
そしてわたしは、あなたがたの父となり、
あなたがたは、
わたしのむすこ、むすめとなるであろう。
全能の主が、こう言われる」。

…。

モルヒネを服用しながらの29日(日)の聖日礼拝に、コリント第二4:16〜18

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。

見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

そして、4月20日泌尿器科で、手術予定が13日に(池本庸先生の執刀で、右腎臓摘出。大きさ卵十個分。胆嚢も摘出)の記録がありました。

改めて新ためて心の底から深い感謝を捧げます†

テレジア・カズコ

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