オショチへ
身体は元気ですが、自分に合わない仕事と、打ち解けられない人たちのために辛い毎日を過ごしています。
今の苦痛に耐えられるのは、若い頃のA学園でのたいへん辛い体験をして鍛えられたからかもしれません。

神様の計画には無駄がないと言うことですね。
定年まで先を考えると長いです。この苦労が何年も続くのかと思うと鬱になりますが、いい仕事が見付かれば、直ぐにでも替りたいです。
そのかわり週末は楽しいです。何もする事が無くても楽しいです。会社に行かなくてもいいと思うだけで嬉しいです。
日曜日の礼拝が楽しみです。原点に戻った感じです。
Aでのオショチからの聖餐式は今でも忘れていません。

Y

Y君へ

辛い気持ちが伝わります。確かに人間関係は難しい問題です。
複雑です!

あのとき、A学園は大変だったですね。
牧師が、子どもたちより自分たちの利益や体面に捕らわれた哀れな連中でしたから、Y君たちは苦労しながらも邪魔物扱い。よく耐えました。
君たちの行為は正しかったが、逆に追い詰められた。

あの体験は神の恵みでしたね!

オショチの納骨堂での真冬の厳しい断食祈祷は、牧師の心を揺さ振りました。

神の僕として、弱い立場に置かれた子どもたちの保護者たる彼に本物の愛を伝えたかった!

しかし、彼は、オショチの10日間の断食祈祷から、遂に学べなかった。残念でした。

迫害する立場の彼等に聖霊の愛は働かず、ただ混乱と猜疑心が残った。

君たちは苦しんだが、神に愛された

あの日の聖餐式はY君が夜中に焼いたパンでしたね!葡萄酒はY君が山を下って買い求めてきた。

素晴らしい†霊的な聖餐式でした。
あの日が君の原点だと思います。

神は生きておられます†

我々は他人の業→罪の重荷を負う!辛くても彼らの罪を担うように定められています。

キリストの品位、品格、人間の弱さに、優しさ、識り尽くしたお方!

仇するものに向けられた愛を貫きましょう!

最後までやりましょう†

神様に選ばれた者は、神様に愛されています。
罪の報酬は死
神様からの報酬は永遠の命
迫害する者、闇の中を生きている者、心無き者に対して、

イエス様は、「彼等をお許し下さい。彼らは何をしているのかわからないのです」。
神様の言葉は、今も昔も変わりません。
と言う事は、昔からクリスチャンは、世に歓迎されないというか、世の人との波長が違うのでしょう。
神の側にいる者は、そうでない者とは、打ち解けられなくて当然と言えば当然です。
中井に行くと、空気が違います。
癒されます。

Y

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