NHKBS世界のドキュメンタリー「セミパラチンスク18年後の現実」


このドキュメントは、間違いを平気で犯す人間への救済のメッセージ。


多分、神の裁きが下る前の警告を受けていると思う。

オショチは預言者の役目も課されている。

それにしても野心的政治家や人間の、悪質さは酷い

セミパラチンスク18年後の現実
旧ソビエト連邦最大の核実験場、カザフスタンのセミパラチンスク。

実験場閉鎖からすでに18年が経過したが、放射能汚染の影響はより深刻化している。

原題:Silent Bombs; A Cruel Wind Blows
制作:2009年

国際共同制作:NHK/4 Square Productions (カナダ)

カザフスタン北東部のセミパラチンスクで、1949年から1989年までに約500回の核実験が行われた。1991年の実験場閉鎖か ら18年が経過したが、今なお放射能汚染の影響は続いている。核実験は、なぜセミパラチンスクで行われ、周辺に住む人々の 暮らしや健康をどのように脅かしていったのか。

カナダの制作会社との国際共同制作によるこのドキュメンタリーは、実験場に隣接するサルジャール村、カイナール村を中心に、放射能汚 染の実態を丹念に取材。村ではこの数年間、さまざまな障害を持つ子どもの出生が続き、10代の自殺が急増するなど、世代を 超えたより深刻な被害が明らかになっている。番組では、被爆による重い健康被害を抱える人々の怒りと叫びに向き合い、核の恐怖と残酷 さを明らかにしていく。

さらに番組は、旧ソ連の原爆研究者や医師の証言をもとに、セミパラチンスクにおける核実験の歴史を辿る。住民たちは核実験の事実を知 らされず、健康被害が明らかになったあとも旧ソ連によって沈黙を余儀なくされた。実験場周辺では、今なお正常値を大幅に超 える放射線が測定されており、核の脅威はカザフスタンの人々の生活を静かに、しかし確実に脅かしている。


つづきは画面をダブルクリックし、YouTubeのページに移ってご覧いただけます

インターネット辞典ウィキペディアより


セミパラチンスク核実験場

セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный
полигон)は、旧ソビエト連邦の核実験場のひとつであった。カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方 150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km²(四国の面積にほぼ等しい)。

1949年から1989年の間に合計456回の核実験に使用された。施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29 日に正式に閉鎖された。
核の負の遺産(PA Perron)

概要

1947年にラヴレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれた。核実験の準備に伴い、実験場郊外に秘密都市セミパラチンスク-21(現在のクルチャトフ市)が建設され、関係者が集められた。

ソ連最初の核実験RDS-1は 1949年8月29日に行われた。実験を指揮した核物理学者のイーゴリ・クルチャトフは、後に、もし核実験が失敗したらスターリンの命により銃殺刑に処されることを覚悟していた、と述懐している。

その後、1953年8月12日の水爆装置実験RDS-6(核融合そのものは失敗)、1955年11月22日の初の水爆実験RDS- 37、核の平和利用実験(下記参照)などが行われた。なお、RDS-6の実験に当たっては、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させた。これは人体実験だと見られている。またベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されている。

その後放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたものの、核実験を優先するソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチにより実験の実態が明らかになると国際的な非難が高まり、1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された。

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