闘病生活の中で私は、ひとつの身体を共有する、2人の私に向き合うと言うまことに奇妙な体験を繰り返す毎日です。

現実から目をそらす私と正面から向き合う私!

どちらも私です。

その有様を静かに見つめている私ではない存在者の視線を感じます。

察するに、一人じゃ生きられない弱い私を、“いざ”となったら励まし、救い、恵みの中に導くお方かもしれないと感じます。

闘病生活は私一人の力では乗り越えられません。

医師、医療関係者、仲間、家族等、様々な助けが必要です!

助けられながらも、苦しい時は目の前のことに目を奪われがちになります。

健康で自由自在に働き、何不自由なく動き回っていたときとは違います。

状況は一変して、それまでの生活から切り離されてしまいます。

この落差が、かなり堪えます。

身体だけではなく、心もです。

ややもすると、それが引き金になり、絶望に転落する危険性も否定出来ません。

毎日がそれとの闘いです。

もう一人の私の姿です。

この複雑な弱い自分を、私は見つめています。

先日、ブログに“我が道”を書きましたが、あの人物も、私です。

今日、肝臓ガン末期の病友と、電話で話しました。

彼は82歳になりますが、淡々と自分の死について語ってくれました。

一人じゃないから絶望しません!私は忘れられていないし、私は家族やあなたの記憶に生きていきます。

間もなく命が燃え尽きても怖くありません!不思議です!

「彼は自然に、新たに生きる次の命の世界を獲得した!」と感動しました。

不思議な心境の変化です!

闘病生活者にはいろいろなお方がおられます。

苦しみと向き合って、最後に人として生まれ、目に見えない未来永劫の価値を掴む人、絶望に打ひしがれる人、様々です!

これが人間のあるがままの姿でしょうか!

死の谷は誰でも一人で越えなければなりません。

彼に語りました。

「死は新しい命の出発点です!」と。

彼は理解してくれました。

励まし合う!素晴らしい体験です!

闘病の困難を乗り越える力を分かちあうことに悦びを感じます。

ジョティ・サヒ「洗足」

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1件のコメント

  1. 今先生の周りのたくさんの人に支えられているのですね。闘病生活は、わたしの想像絶する心の葛藤があるのでしょう。必ず治ります。心強くお過ごしください(^-^)/~~

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