人間の生命の存在は、広大無辺の宇宙から見たら星たちの一瞬のまばたきに過ぎないかも知れません。
肉体の死は一過性。
人間の霊魂は永遠不滅。
魂の故郷は天に在る、とわたしたちキリスト教徒は、このように受け止めています。
イエスは弟子たちに語りました。
心を騒がせるな。神を信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所にあなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたは知っている。(ヨハネ14:1~4)
死の恐怖に打ち勝ち、死の陰の谷を越えた信徒たち、私の胸を深く打ちます。
あの殉教者たちの表情は、天国に帰り行く深い喜びと平安に包まれています。
死を恐れぬ姿に、イエスの約束のみ言葉が甦って来ます。
長崎の殉教の史実は、苛酷な宗教弾圧に怯まなかった信徒たちの結束と信仰の奥深さ、信仰の揺るぎなの実証です。
いくら政治権力で弾圧しても真理に根ざした人々の心まで支配出来ないことを、彼らは死を賭して実証しました。
私のおぼつかない右手で、一字一句を打ち込む度に天国を目指した人々の心情に想いを馳せます。
不思議なことに、死を目の前にした時、心に平安と生きる力が来ます。
わたしたちの信仰は世の救い主が自分の中に人としての生き方、行いに確信を与えてくださる事が大きな喜び励みになります。
神の恵みを余すところなく頂き与えられた人生を心豊かにまっとうしたいと願う毎日です。
ありがとうございます。生かされている意味を、問いながら、頑張って生きていこうと思います。感謝です。