しかしわたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛しあながたを憎む者に親切にしなさい。
悪口をいう者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう片方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分に良くよくしてくれる人に善いことをしたところでで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも、悪人にも、情け深いからである。
あなたがたをの父が憐れみ深いように、あなたがたにも憐れみ深い者となりなさい。
ルカ6:27-36

厳しい教訓

普通人には理解しがたい、実行不可能と思える難題です。

とてもキリストについて行けないと感じます。

私も深く悩み抜いた聖句の一つでした。

困難な要求。平凡な人間には実現不可能なことです!

おっしゃることは頭で理解出来ますが、いざとなると出来ません。

無理難題を何故?キリストは弟子たちに語られたのか?

しかし文字通り、完全にみ言葉に従い通した人物がいます。

最近では、インドのカルカッタのスラム街に身を投じたマザーテレサです。

記憶に新しい愛の使徒でした。

また、ハワイのモロカイ島のハンセン病の人々に生涯を賭けた、ダミアン神父。

あのアウシュビッッで友の身代りなり餓死したコルベ神父。

聖霊が働くとき人は捨て身になれると言う実証です。

使命感を受けた時に、平凡な人でも変えられて、人のために喜んで身を捧げます。

現世の肉の打算、人間の思惑、それらの予想を遥かに越えた力が人間に働くのです。

愛の奇跡です。

あの使徒パウロが成し遂げた、愛に根ざした伝道も、聖霊の愛に助けられた証しです。

クオ・ヴァデス? 主よ何処へ?

ローマのバチカン宮殿は、弟子のペテロが逆さ磔つけにされた死刑場の後に建立されました。

ペテロが恐怖心に襲われ逃げて行く途中、キリストに逢いました。

「ペテロよ何処に行くのか?お前が死を恐れて逃げるならわたしが身代わりになろう」

「わたしが†字架の死につく」と言われて、彼はアッビア街道を引き返し、ローマの兵士に捕われ、有罪となり刑死を遂げました。

キリストに出会わなければければ、逃亡者として彼の名は闇に葬り去られたかも知れないのです。

今でこそ 「聖ペテロ(サン・ピエトロ)寺院」大聖堂に祀られていますが、キリストの聖霊抜きに有り得ない奇跡の証しです。

日本人が初めて触れた宣教師たちの命賭けの伝道がなければ、わたしたちにはキリストの福音は伝わらなかったかも知れないのです。

私も救いに預かりました。

絶望の日々から!身を捨てる勇気を与えられました!

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