古代イスラエルにとって死は蔭府(よみ)に下る恐ろしいこと、暗闇と沈黙の場所。


神との関係を断ち切られて影のようなものとして存在し続けなければならないと考えられていました。

ヨブ記 10:21-22また新約聖書にも、罪の償いはしなければならないことが、はっきり語り、引き継がれています。師イエスを裏切り、わずか銀貨20枚でユダヤの大祭司らと取引した12弟子の一人ユダは、良心の苛責から、アケルダマ(血の谷)に飛び込み自殺しました。


彼が死後救われるたか、どうか?は疑問ですが?しかし、キリストになられた(メシヤ⇔救い主)イエスは†字架の死と引き替えに人間の持つ罪の許しを神から得ました。

以後、人類は罪の重い縄目から解放された。

これが、キリストのもたらした新約の福音です!

キリストに信じて「自分の人生を委ねる⇔任せる⇔転がす。キリストを介して、神の側に自分の全てを、あるがまま、罪のそのままの体を転がす」あとは聖霊が働きわたしたちを危険からお守り下さる。

これを信じるか?否か?は個人の選択に委ねられているのです!

わたしは困難試練の時に、キリストに投げ身して人生の全てをお任せしました。

このブログは目の前に展開する不思議な光景をリアルタイムで書かされています。

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